こんにちは。

立冬が過ぎたと思えば、もう師走。
紅葉を楽しむ期間はあっという間でしたねえ。

今回は、海外の難民に直接メガネを届ける富士メガネの支援活動をご紹介します。

 

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眼鏡を届けるユニークな支援活動

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画像は、読売新聞2017年11月8日朝刊です。
主見出しは、「見える喜び」贈り35年

前文は、

「第24回読売国際協力賞を受賞した富士メガネは、苦境にあえぐ海外の難民・国内避難民に直接、眼鏡を届けるユニークな支援活動を行ってきた。

良い眼鏡を通して、生きる希望と新しい未来を見つけてほしい―「見える喜び」を贈る社を挙げての真心が35年の献身を支える」。

逃げる途中で眼鏡を落としたり、お金がなくて眼鏡を買えない難民が多いそうです。

富士メガネの社員が眼鏡を難民に届けてこられました。
幕末に坂本龍馬が率いた「海援隊」にちなみ、「視援隊」と名付けたとのこと。

記事を拝読して改めて気付いたことがあります。
眼鏡は通常の物資と異なり、人それぞれの眼に合ったものでなければいけないのですね。

そこで、富士メガネの社員さんは、度数の異なる多くの眼鏡を持って直接現地に行かれます。
会場を設定し、検眼の後、度数の合う眼鏡を選んで渡されるそうです。

企業の持ち味を活かした活動に目を見張りました。

難民に眼鏡20万組

以下は、北海道支社の木瀬武さんの記事の一部です。
(文章はそのままで、改行・リンク貼り・太字など記載を変えています。省略した部分もあります)

アゼルバイジャンは13回目の訪問だ。

日本の眼鏡をもらえると聞いて会場に押し寄せた数百人の避難民の中に、80歳の女性がいた。
隣国アルメニアとの紛争で息子3人を亡くしたという。

「生前の息子の写真を見るのに眼鏡が欲しい」-。金井昭雄会長(75)ら一行に涙ながら訴えた。

すでに右目の視力を失い、残る左目も近い所が見えづらくなっていた。
手作業で視力を測り、日本から持ち込んだ約4000組の眼鏡から、女性に合う眼鏡を探し、かけてもらった。

「ヤクシー(よく見えます)! チョーサオール(どうもありがとう)」。老母は歓喜の涙を流した。これこそ、「視援隊」の至福の瞬間だ。

検査は多い時で一日に約500人、帰国までの約2週間で計約3000人に達した持ち込んだ眼鏡で合うものがなければ、日本に検査データを持ち帰り、新しいものを改めて空輸する。

今年は2790組の眼鏡を現地で手渡し、帰国後に製作した132組を貨物便で届けた。
視援隊は、帰国後すぐに翌年の準備が始まる。派遣先によっては、コレラやマラリアに感染する恐れもある。

会社やボランティアで参加する社員の負担も大きいが、やりがいはそれ以上に大きい。

札幌市内の店舗勤務で昨年の視援隊に初めて参加した菊地翔平さん(32)は

「見える!」と泣いて喜び、抱きついたりキスをしてくる難民を目の当たりにし
「見えるってこんなにうれしいんだ。これまで働いてきて、こんなに喜んでもらえたことはない」と驚く。

帰国後も技術を磨くため、検眼などの通信教育を受講、来年も視援隊に加わる予定だ。

これまで参加した社員は延べ183人。

日本の日常と離れた場で、「見える喜び」を贈りながら、社員自身が「贈る喜び」を味わい、さらなる研鑽に励んでいる。

視援隊はタイやネパールなど計4か国を訪問。現地で手がけた眼鏡の数は約13万組に達する。
このほか、ケニアやナイジェリアなど社員が実際には訪れず寄贈したのみの分も含めると、提供した眼鏡の総数は約20万組に上る。

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子どもたちの心に光 イラク北部

次は、カイロ支局の倉茂由美子さんの記事の一部です。
(文章はそのままで、改行・リンク貼り・太字など記載を変えています。省略した部分もあります)

生まれて初めて眼鏡を手にしたというムハンマド・アブドラワヒド君(11)は2年前
「イスラム国」の最大拠点だったモスル近郊から、家族と一緒に逃げてきた。

今まで視力を測ったことなんかないから、自分の視力が悪いなんて知らなかった。
文字も、絵もはっきり見えて、まるで博士になったみたいだ」と喜ぶ。

ずっとフレームが曲がった眼鏡をかけていたファエザ・ムハンマドさん(18)も
「新しくて、こんなにいい眼鏡をもらえるなんてうれしい」と声を弾ませた。(略)

半年前に眼鏡をもらったシャイマ・サバハさん(6)は
「学校の本がすらすら読めるようになった。将来の夢は目医者さんになること」と話し

アラ・アブドゥラさん(11)も
「黒板の文字もはっきり見えて勉強がしやすくなった。学校の先生になりたい」-。

日本の眼鏡をかけたイラクの子供たちに、未来への視界が開けている。

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「眼鏡には人生を方向付ける力がある」~既製の眼鏡を送るだけではだめだ~

金井昭雄会長の思いを木瀬記者が書いておられたので、以下に一部を抜き出してみました。

支援の原点は、創業者の父を継ぐため、金井さんが最先端の視力ケアの専門家(オプトメトリスト)を目指し、米国の大学に留学中の1970年代初めに体験したボランティアにある。

アリゾナ州の先住民居留区で、一人ひとりの視力を検査し、仲間とかき集めた使い古しの眼鏡を配った。

日本でまだボランティアがなじみの薄かった時代。眼鏡を手に満面の笑みを浮かべる先住民を見て、たった一組の眼鏡が生み出す力に強い衝撃を受け、「日本に戻っても必ずやろう」と心に決めた。

転機が訪れたのは、富士メガネ専務時代の81年。
インドシナ難民支援団体から「難民に適切な視力補正サービスを提供したい」と連絡を受けた。

すぐに600組の眼鏡をタイの難民キャンプに送ったが、心は晴れなかった。
「既成の眼鏡を送るだけではだめだ」

83年、視力支援を創業45周年記念事業と位置づけ、500組の眼鏡とレチノスコープ(検眼鏡)を持ってタイに乗り込んだ。

通関手続きで眼鏡を押収されるなどトラブルも連発したが、視力を測り、度数の合った眼鏡を手渡した難民たちが、「見える」「見える」と泣いて喜ぶ姿にすべての苦労が吹き飛んだ。(略)

樺太(現サハリン)で生まれ、終戦で引き揚げた体験と難民の姿が重なる。
混乱の中で出生証明書がなく、出生地は「北海道」としている。

2006年、難民支援のノーベル賞と言われる「ナンセン難民賞」を日本人として初めて受賞し、自らの出自を話すと、「あなたも難民じゃないか」と驚かれたのを覚えている。

難民の自立に教育は欠かせない。視力が弱いと、教科書や本を読めず、学習にも限界がある。
「正しい情報が眼鏡を通じて入ってくる。眼鏡には人生を方向付ける力がある。今後も支援を続けたい」
と金井さん。

眼鏡の奥の視点の先に無限の世界が広がる。

富士メガネのサイト

第24回読売国際協力賞を受賞された富士メガネは、北海道と関東に67店舗お持ちです。
残念ながら富山にはありませんでしたので、サイトを記します。

・富士メガネのサイト→こちらをクリック
・富士メガネサイト内、社会貢献の内容→こちらをクリック

私は視力が低いので、眼鏡には日々お世話になっています。
眼鏡がなかったら、仕事はもちろん、日常生活・社会生活を営むことが制限されることでしょう。

障害を持ちながらも多くを制限されることなく生活できればと思います。
一方、社会の仕組みや慣行や事物のなかに障壁となる種々の「障害」が存在することと思います。

個人と各々の企業には、他にはないそれぞれの持ち味があることでしょう。

その持ち味を発揮して、気づきと工夫と努力を続けることで、障壁が少しずつでも低くなっていけばいいなあと思いました。

支援を通して、両者とも幸せな気持ちになることが何よりですね。

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富山の就労継続支援A型 エイキソーシャルワーク(コラーレ富山)

(法人名)
一般社団法人 eiki social work

(設立)
平成26年6月

(利用者数)
12名(令和2年4月末)

(事業所名)
就労継続支援A型事業所「コラーレ富山」

(事業所番号)
1610101550

(利用定員)
20名

(事業内容)
福祉サービス業
障がい者自立支援法におけるA型事業所

(サービス内容)
産業廃棄物の分別・各種工具等のメンテナンス・PC関連など

(所在地)
〒930-0996 富山県富山市新庄本町3丁目1-13

(アクセス方法)
バス 向新庄口下車 徒歩3分

(電話番号)
076ー452ー3899

(FAX番号)
076ー452ー4025